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東京地方裁判所 昭和36年(特わ)277号 判決 1963年2月02日

判   決

東京大学大学院学生

塩川喜信

昭和一〇年六月二七日生

右の者に対する昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反被告事件について、昭和三四年一〇月一三日、東京地方裁判所が言渡した無罪判決に対し、検察官より控訴の申立をした結果、昭和三六年三月二七日、東京高等裁判所において破棄差戻の判決があつたので、当裁判所は、検察官より控訴の申立をした結果、昭和三六年三月二七日、東京高等裁判所において破棄差戻の判決があつたので、当裁判所は、検察官平井清作出席のうえさらに審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納しないときは、金三〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三二年六月当時東京大学文学部の学生であつて、東京都学生自治連合会の執行委員をしていたものであるが、同年六月二一日午後一時頃、学生約二〇〇名が東京都港区赤坂葵町二番地所在の日本電信電話公社横道路上に集合し、同所附近のアメリカ大使館に対し、沖繩軍事基地化反対、核兵器持込反対等の抗議、陳情を行つたところ、右集合した学生のうち二名が、公務執行妨害の罪を犯した疑いで警察官に逮捕されたので、この逮捕に対する抗議と釈放要求のため、同日午後三時一〇分頃から午後三時三〇分頃までの間、右学生一同が東京都公安委員会の許可を受けないで、前記電信電話公社前附近から警視庁に向い、同都千代田区霞ケ関三丁目所在の文部省、大蔵省前を経由して霞ケ関二丁目二番地所在の外務省前附近の道路上(当時は旧外務省跡となつていた)に至る間、四列ないし六列の縦隊をつくり、集団示威運動を行つた際、前記大蔵省前附近から霞ケ関二丁目二番地に至る車道上において、右隊列の先頭に立つてこれと対面し、掛声をかけたり、手で調子をとる等してこれを誘導し、もつて集団示威運動の指導をしたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第五条、第一条に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内において被告人を罰金三、〇〇〇円に処し、なお右の罰金を完納することができないときは、刑法第一八条第一項により金三〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項但し書を適用してこれを負担させない。

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、

(一)  昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下これを都条例と略称する)は、道路その他公共の場所で集会若くは集団行進を行おうとするとき、又は場所の如何を問わず集団示威運動を行おうとするときは(以下これら集会、集団行進及び集団示威運動を総称して集団行動という)、東京都公安委員会の許可を受けなければならないとし、行政機関たる公安委員会にその許否の処分を委ね、しかも同委員会において許否の処分を行うべき基準は明確でないうえ、同委員会において許否の処分がなされない場合の救済措置が講じられておらず、許可を受けないで集団行動を行つた場合に、その主催者、指導者又は煽動者を処罰しているのであつて、このような集団行動に対する規制の方法、程度は不当に集会、結社その他表現の自由を制限するものというべく表現の自由を保障した憲法第二一条並びに勤労者の団体行動権を保障した憲法第二八条に違反するから無効である。

(二)  さらに都条例は、公安委員会の許可を受けないで集団行動をした場合、その主催者、指導者又は煽動者を処罰の対象としているが、本来集団行動をなす場合の集団は、常に一定の目的、思想のもとに集つたものであつて、集団としての目的意思と秩序をもつており、単なる群衆ではない。従つて少数者の指揮に応じてこれらの者の意のままに動くものではなく、むしろ指導者こそ集団の意思に忠実に従う代弁者であり、秩序保持機関にすぎない。また、このような見地から、集団行動の煽動ということも介入する余地はないのであつて、これは集団の本質と相容れないものである。右のとおり、本質的に集団というものと不即不離の関係にあるべき主催者、指導者というものを、これら集団と切り離し、特定の個人という立場から処罰の対象とすること、また集団の本質と相容れない煽動という概念を持ち込み、煽動者を処罰の対象とすることは、いずれも把握し難い不明確な概念によつて処罰する結果となり、法の正当な手続を保障した憲法第三一条に違反し、無効である。

(三)  次に本件は、学生約二〇〇名が、アメリカ大使館に対し、沖繩軍事基地化反対、核兵器持込反対等の抗議、陳情を行つたところ、学生のうち二名が公務執行妨害の罪の疑いで警察官に逮捕されたため、これに対する抗議並びに釈放要求の目的で警視庁に向い、日本電信電話公社前附近の路上から、文部省、大蔵省の前を経由して外務省の前附近まで集団示威運動を行つた際、被告人がその指導にあたつたというものである。しかして警察官は、被疑者を逮捕した場合、四八時間以内に身柄を検察官に送致しなければならないのであつて、身柄の処置に対する警察官の権限は、四八時間を限度とする。従つて警察当局に対する意思表示は、必然的に被疑者が身柄を拘束された時から四八時間以内に行わなければならないが、都条例は第二条において集団行動を行おうとする日時の七二時間前までに許可申請をするよう規定しているので、この規定を厳守するときは、全く意味のない集団行動を行う結果となるに至る。このように、都条例に規定する七二時間という時間的制限に従つていては、集団行動の意義を失うに至るような所謂緊急の場合にもなお同条例を適用することは、事実上このような場合の集団行動を不可能にするものといわざるを得ない。しかして集団行動は憲法によつて保障された表現の自由の一態様であつて、国政上最大の尊重を要すべきであるに拘わらず、これが実行を阻止されるような結果を是認することは許されない。従つて本件のような緊急の場合には、都条例はその適用が排除される、と解するのが相当である。

(四)  仮に緊急の場合の集団行動にもなお公安委員会の許可を必要とすると解しても、本件は前述のとおり拘束されている学友の身体的自由と、その抗議のための集団行動の行由を護る緊急の必要からやむを得ず許可義務に違反して行つたにすぎず、まだ違法と評価するに至らないのであるから、刑法第三七条の緊急避難の規定を準用し、或いは超法規的に違法性を阻却する場合であるから、被告人の行為は犯罪を構成しないものである。とそれぞれ主張するので、以下順次この点について検討する。

二  都条例が憲法第二一条及び第二八条に違反し、無効であるとの主張について。

しかしながら、この点に関してはすでに上級審たる東京高等裁判所において、昭和三五年七月二〇日に言渡しのあつた最高裁判所大法廷の判決の趣旨を全面的に援用し、都条例が憲法に違反するとの理由によつて被告人に無罪の言渡しをした原第一審の判決は、都条例の解釈並びに適用を誤つたものであり、同条例は憲法第二一条及び第二八条に違反するものではない旨判示してこれを破棄しているのである。そして下級審たる当裁判所は、裁判所法第四条の規定によつて上級審たる東京高等裁判所の右判断に拘束されるものである以上、これと異る解釈をとることは許されないから、都条例が憲法第二一条及び第二八条に違反するという弁護人の主張は採用し得ない。

三  都条例が憲法第三一条に違反し、無効であるとの主張について。

しかしながら、都条例第五条によつて処罰の対象とされる集団行動の主催者、指導者又は煽動者という表現は、必ずしも不明確な概念であるとはいえない。すなわち、主催者とは、特定の集団行動を行うにつき中心となつてその規模、方法、態様等の具体的事項に関する企画をなし、これが実施の衝に当る者、指導者とは、集団行動をして所期の目的を達成させるため、現場において集団の構成員に対し、言語又は動作によつて指揮、誘導する等して行動を所定の方向へ指向すべき責任を負う者、煽動者とは、特定の集団行動を実施させるため、又は現に行われている集団行動についてさらに特定の行為を出しめるため、文書、言語、動作その他の方法をもつてそれらの行為を実行する決意を生ぜしめ、若くはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与える者、をそれぞれ指すものということができるのであつて、これらはいずれも社会通念にてらし、十分その実現を把握することが可能であるといわなければならない。また主催者及び指導者を集団と切り離し、個人の立場において処罰の対象とすることは必ずしも不合理ではなく、さらに煽動という概念が集団行動における集団というものの本質と相容れないものではない。何故ならば、集団行動における集団は、一面において弁護人も指摘するとおり、一定の目的、思想のもとに集合したものであつて、集団としての目的意思と秩序をもつており、指導者といえども集団を構成する者の意思を全く無視し、これとかけ離れた独自の意思で集団を動かすことができないものであることは否定し得ないが、その反面、主催者又は指導者が常に集団の単なる意思の代弁者にすぎないとか、秩序保持機関に止まるとはいえないのであつて、却つて主催者又は指導者個人の有する人格の影響を受け、これによつて集団の性格が左右されることも認めざるを得ないのである。いま特定の集団行動に出る場合の経緯を考えて見ると、まず主催者たる者において集団行動の必要を認めるときは、集団を構成すべき者の意思を忖度したうえ、その目的を達成するに最も効果的と思惟される規模、方法、態様等具体的な事項を企画し、これを被動員者に計つてその必要性を説明し、賛同を得たうえ実施するのが通例であり、この場合、主催者の有する事態の洞察力や企画力、説得力如何が、集団行動の態様、成果を大きく左右するといつても決して過言とはいえないであろう。また指導者は、すでに説示したような具体的行動に出るべき立場にあり、現場の状況に応じ、自らの判断によつて臨機それに対する処置を執らざるを得ないのであるから、指導者自身の有する事態を把握する能力、指導の巧拙、方法の如何によつて集団行動の態様、成果に著しい影響を及ぼすことも十分考えられるところである。このように、集団行動そのものが、主催者又は指導者の人格によつて影響を受けるものである以上(そして場合によつては、後記のような不測の事態にまで発展するおそれがあり得る)、その影響力を重視し、これらの者を集団というものと切り離し、個人の立場で法的評価を加え、処罰の対象とすることも意義があるので不合理とはいえない。

さらに集団行動は、昭和三五年七月二〇日付最高裁判所大法廷判決において指摘するとおり、現在する多数人の集合体自体の力によつて支持されていることを特徴とし、このような力は、場合によつては突発的に内外からの刺激、煽動等によつて容易に動員され得る性質のものであり、かつ平穏な集団であつても、時には昂奮、激昂の渦中に巻き込まれ、甚しい場合には、一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躙する等不測の事態に発展する危険が存在するものである以上、煽動の如何が、集団行動に及ぼす影響も決して無視できないことは明らかである。従つて煽動という概念が集団の本質と相容れないものであるとはいえないのであつて、煽動者を処罰の対象とすることも理由がない訳ではない。

以上の次第であつて、都条例第五条において主催者、指導者又は煽動者を処罰の対象としても、このことをもつて法の正当な手続を保障した憲法第三一条に違反するものとはいえないので、弁護人のこの点に関する主張も採用できない。

四  本件が都条例第二条に規定する七二時間の時間的制限に従い得ない所調緊急の際の集団行動であつて、このような緊急の場合の集団行動には、都条例の適用は排除されるものであるとの主張について。

(一)  まず本件が弁護人の主張するような所謂緊急の場合に該当するか否かについて検討する。この点の事実関係については、すでに判示したとおりである。そして警察官(刑事訴訟法上の司法警察員)が、被疑者を逮捕したとき、又は逮捕された被疑者を受け取つたときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げたうえ、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちに釈放し、留置の必要があると思料するときは、被疑者が身柄を拘束された時から四八時間以内に身柄を検察官に送致する手続をしなければならないのであつて(刑事訴訟法第二〇三条第一項)、検察官に送致した後の身柄の処置については、警察官の手を離れ、専ら検察官の裁量(勾留の請求がなされれば裁判官の判断)に属することとなり、結局身柄の処置に対する警察官の権限は被疑者が身柄を拘束されてから四八時間以内の限度に止まるのである。このような場合、警察官ないし警察当局に対し、逮捕に対する抗議と釈放要求の意思表示をしようとすれば、警察官において身柄の処置について権限を有する四八時間以内に行わなければその目的を達成することが甚だ困難となり、意思表示の意義及び効果が失われるに至ることは否定できないところである。もつとも身柄を検察官に送致した後であつても、警察官と検察官の連繋がない訳ではないから、警察官に意思表示をすることによつて間接に検察官にその趣旨を申達せしめてその目的を達成することも全然不可能とはいえないので、敢て警察官の権限に属する四八時間に限定される必要はない、という見解もあり得るが、しかしその場合身柄の処置に対する決定権を有する者はあくまでも検察官であつて、警察官の意見に拘束されるべきものではないから、警察官に対する意思表示が直接意義及び効果を持ち得ないことについては同様であり、この見解には左袒できない。このように都条例が第二条において規定する七二時間という時間的制限に従つて許可申請をなし、その許可を俟つて集団行動を行つていたのでは、その意義及び効果を失うに至るような場合を緊急の場合と定義づけるならば、本件のような場合も一応これに該当するということができよう。

(二)  ところで都条例は第二条において集団行動の許可申請は、集団行動を行う日時の七二時間前までに所定の事項を記載した許可申請書を、開催地を管轄する警察署を経由して提出すべき旨規定しているので、集団行動の許可申請の手続は、同条によつておそくとも集団行動を行う日時の七二時間前までにこれをしなければならないのである。そして、集団行動はさきに説示したとおり、場合によつては不測の事態に発展する危険がないとはいえないのであるから、集団行動の目的、規模、方法等を事前に了知し、不測の事態に備え法と秩序を維持する最小限度の措置を講ずること、また集団行動は、それが如何に平穏に行われたとしても、多かれ少かれ他人の自由な交通を一時妨げ、或る程度周囲の静ひつを害する結果を招くことは避けられないところであるから、集団行動の自由を尊重すべきは勿論であるにしても、その自由を侵さない限度において、このような他の法益侵害を最小限度に止めるための措置を講ずることは、治安の維持と個人の権利の保護に任ずべき警察当局としてはやむを得ないところであり、これが措置の準備のため或る程度の時間的余裕を必要とすることもまた当然といわなければならない。しかしながら、その要求する時間的余裕も、長時間に及べばそれだけ表現の自由を制限する度合いが大きくならざるを得ないのであるから、厳にやむを得ないと合理的に判断される程度でなければならないことは勿論である。都条例は、第二条において七二時間前までに許可申請をするよう規定し、この七二時間が右に説明したとおりの措置を講ずるための準備として要求される時間的余裕であるが、この点については、旧憲法下の治安警察法が第二条において政事に関する集会を開こうとするときは、発起人は開会三時間以前に所定の事項を管轄警察官署に届出ることを要求し、また第四条において屋内における集会又は集団運動を行おうとするときは、その一二時間以内に所定の事項を管轄警察官署に届出るよう要求していたこと、及び警察における通信機関の発達と機動力の拡充強化は治安警察法施行当時と比較して格段の進歩が見られる点に着目すると、現在の都条例が七二時間という到限時間を設けたことは、たしかに長時間という印象を払拭することはできない。しかしその反面、現在は当時と異つて人口の著しい稠密化と、車馬の激増を来し、加えて道路の状況は殆ど改善されていない結果、些細な原因によつて容易に交通の著しい混乱を生じ、かつ深刻化してこれが他に及ぼす弊害も決して小さいものではなく、従つてこのような事態を回避するための措置もいきおい困難、複雑とならざるを得ないものであることは十分推察され、以上の諸事情を考察するときは、七二時間という時間的制限は必ずしも不合理な制限ということはできないから、この規定をもつて直ちに違憲ということはできない。故に一般の集団行動の場合には、都条例第二条の規定に従つて、七二時間前までに許可申請の手続をなし、公安委員会の許可を受けたのち、これが実施に移るべきであることは当然である。ところで都条例は前示のとおり、第二条において集団行動を行おうとする七二時間前までに許可申請の手続をとるべく規定するのみであつて、本件のように七二時間という時間的制限に従つていては集団行動の意義及び効果を失うに至るような緊急の場合について、特別な手続を規定していないので、このような事態に際してもなお都条例の適用があるかどうかが検討されなければならない。およそ緊急の場合の集団行動と、そうでない一般の場合の集団行動とを比較したとき、その方法、態様等現実にとられる行動の内容並びにそれによつて蒙ることあるべき他の法益侵害の程度というような集団行動の本質的な部分には差異があるとはいえない。とすれば一般の場合の集団行動については、すでに説示したとおり、都条例においてやむを得ない最小限度の事前規制をとつたことを是認しながら、本質的にはこれと異るところのない緊急の場合の集団行動には事前規制を全く必要とせず、都条例の埒外に放任して差支えないとする合理的かつ実質的な理由は存在しないというべきであつて、たとえ緊急の場合の集団行動であつても、なお事前の規制措置を講ずることはやむを得ないので、緊急の場合の集団行動には都条例の適用を排除すべきであるという弁護人のこの点に関する主張は採用し得ない。

(三)  なおこれに関連し、都条例が第二条において七二時間という時間的制限を設けた趣旨が、すでに述べたとおりの理由によるものであることに着目し、かつ、時間的制限は第五条によつて処罰される場合の構成要件をなすものではなく、許可を受けるための要件にすぎない点を強調して集団行動の自由の保障という要請とを較量したうえ、緊急の場合には七二時間という時間という時間的制限のみ緩和し、これに拘束されることなく許可申請の手続をなし、許可を受けて集団行動を行うべきであるとする見解が存し得る。なる程、第二条によつて規定する時間的制限は、第五条によつて処罰される場合、その構成要件をなすものではないが、しかし同条は単に七二時間という時間的制限を規定したのみではなく、これと並んで形式的な手続の方法、申請の様式についてまで詳細に規定し、しかも第五条においては、許可申請書に虚偽の事実を記載して提出した主催者、許可申請書の記載事項に違反して行われた集団行動の主催者、指導者又は煽動者は、一年以下の懲役若くは禁錮又は五万円以下の罰金という単なる手続違反というには余りにも重い刑罰をもつて臨んでいるのである。このように都条例としては、第二条の規定に違反した場合を秩序罰としてではなく、実質的な違法行為として評価しているものと見ざるを得ず、また七二時間という点のみを、これと切り離して別個の評価をすべき合理的な根拠もないのであるから、第二条全体の趣旨は、場合によつてはその適用を左右されるような単なる訓示的規定にすぎないものとはとうてい解されない。さらに緊急の場合の集団行動であつても、何らかの事前規制がやむを得ないとされる以上、たとえ七二時間という時間的制限に拘束されないとしても、幾何かの時間的余裕をもつて許可申請の手続をしなければならないのであるから、その場合どれ程の時間的余裕をもつて相当とするかという明確な基準が存在しない限り、事実上は、警察当局の判断に依存せざるを得ない結果となり、また若し公安委員会において許否の処分をしなかつた場合その救済がされないこと等の事情から、妥当な解決をはかることは期待できないのである。ただ証拠によれば、七二時間の時間的制限におくれて許可申請の手続がなされたものについても、公安委員会ないし警察当局は許可を与えている事実が認められ、また昭和三五年一月二八日付、警視総監名による「通達甲(備三)第一号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取扱いについて」と題する通達によれば、無許可で集団行動に出た場合には、故意または悪質なものが認められず、かつ公共の秩序をみだすおそれのないものと、公共の秩序をみだし、または合理的に判断してみだすおそれがあると認められるものに二大別し(なお集会のみの場合には、そのほか態様が故意または悪質なものという要件を加える)、前者については、許可申請書を提出させ、今後所定の手続を履行するよう注意して行わせ、後者の場合には、主催者、指揮者に警告してとりやめさせ、その他の規制措置をとるべきことを定めている。しかし、この通達は、あくまでも警察当局における内規にすぎないものであつて公示されたものではなく、またその内容を見ても、規制の基準が極めて不明確であるうえ専ら現場における警察官の判断に依存するわけであるから、この通達をもつて都条例を解釈するための根拠とすることはとうていできないのである。そして許可されているといつても、それは公安委員会ないし警察当局の裁量によつて許可されているにすぎないのであつて、許可すべきことを条例自体義務づけているわけではなく(第三条によつて許可が義務づけられており、不許可の場合が厳重に制限されているが、これは第二条所定の手続を践んで申請したものについて、許否の処分をする場合の基準であることは条例の趣旨から明らかであつて、第二条に規定する時間的制限に従わなかつた場合まで許可することを保障したものとは解されない。)、しかも全国学生自治連合会(いわゆる全学連)に対しては、すくなくとも右通達の故意または悪質なものが認められず、かつ公共の秩序をみだすおそれのないものとしての取扱いを受けた事跡がないのは証拠によつて明らかである。従つて現実の取扱いは通達によつて大部分のものが許可されているとしても、この取扱いをもつて条例を解釈するための根拠とはならないのである。従つて七二時間という時間的制限のみ緩和されるという見解にも賛成できず、結局都条例としては、一般の場合であると緊急の場合であるを問わず、これを適用する趣旨であると解せざるを得ないのである。だからといつて緊急の場合には、事実上全面的に集団行動を行い得ないものと断ずるのは相当でない。仮にそのような場合、公安委員会の許可を受けないまま集団行動を行つたとしても特定の要件を充すときは、表現の自由と公共の福祉というより高次の見地から、たとえ形式的には都条例第五条の構成要件に該当する場合でも違法性を阻却し、集団行動の主催者、指導者又は煽動者といえども刑事責任を免れることがあり得るのは後記のとおりである。

五  仮に緊急の場合になお都条例の適用があるとしても、本件は緊急避難の規定を準用すべきであるとの主張について。

しかしながら、前掲各証拠を仔細に検討しても、警察官が松崎俊明、和田富雄の両学生を公務執行妨害の罪の疑いで逮捕したことが違法ないし不当であつたとは認められないのである。およそ公権力の行使が適法である以上、国民としてはこれを受忍すべきであつて、これに対し本人又は第三者においてその行使に実力をもつて抵抗し、又は妨害すること及びこの公権力の行使を免れるため、他の法益を侵害する権利は存在しないから(昭和三年二月四日及び昭和四年三月七日付大審院判決参照)、刑法第三七条の規定を準用すべき余地はなく、弁護人のこの点に関する主張も理由がない。

六  本件は超法規的に違法性を阻却するとの主張について。

(一)  そもそも集団行動は、憲法第二一条において保障される表現の自由の一態様であつて、侵すことのできない永久の権利に属し、国政上最大の尊重を必要とすべきものであることはいうまでもない。勿論、これらの権利といえども絶対に無制限なものではなく、濫用することは許されず、公共の福祉の見地から最小限の制限を受けることがあるのもやむを得ないところであるが、これら表現の自由は、民主政治の基礎をなす最も重要な基本的人権の一であるから、必要やむを得ない限度を超えてこれに制限を加えることは許されないのもまた当然である。ところで、前示のようにたとえ緊急の場合であつてもなお都条例の適用が排除されないと解される以上、若し集団行動による意思表示を絶対不可欠と思料し、公安委員会の許可がないまま敢て行つた場合には、形式的には無許可の集団行動として第五条により、その主催者、指導者又は煽動者は処罰を免れないような観を呈し、これを避けようとすれば集団行動を止めざるを得ない事態に陥るのである。このように都条例を形式的に適用すれば、緊急の場合の集団行動は事実上、合法的に行い得ないという一見矛盾した結果を招くに至るのであるが、このように不合理な事態をそのまま是認することが許されないのは勿論であり、まして緊急の場合には、他に適切な意思表示の方法を執り得ない場合が多いであろうから、集団行動による意思表示に俟つ度合いがそうでない場合に比し尚一層大きいものということができ、従つてその自由はより強く保障されなければならないであろう。このような事情の下にあつては、たとえ都条例第五条違反の構成要件に該当するとしても、表現の自由を保障するという高い次元の要請を充すため、場合によつてはその行為の全体を考察し、それが法律秩序全体の精神にてらして肯定すべきときは、弁護人の主張するとおり刑法第三五条ないし第三七条の規定に直接該当しないときでも、これらの規定の精神を実質的に推論し、違法性を阻却する場合が存在することを否定できない。然らばこのように違法性の阻却が認められる場合も存在するとすれば、どのような要件の下においてそれが認められるであろうか。この場合、緊急の場合の集団行動がすべて何等の要件をも必要とせず違法性を阻却するとはいえない。何故ならば七二時間という時間的制限に従つて許可申請のなされた場合であつても、公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認めうる場合には許可されないこともあり、また第三条但し書の条件を付することもあるのであつて、しかもこれらの処置は違憲でないとされている以上、緊急の場合のそれであつても、右のような事情が存在するものについてはやはり集団行動を許さない場合があることを是認しなければならないからである。従つて一定の要件を必要とすることはやむを得ないことである。この要件として、都条例が許可することを義務づけ、不許可の場合を厳格に制限していて実質的に届出制と異ならないこと、事前規制の趣旨が前に述べたような目的にあること及び集団行動の主催者としては許可申請という手続が自らの手によつてなし得る最後の手段であること等から、許可申請という手続をとることによつて事実上届出という手続を了し、これによつて予め集団行動の内容を警察当局に了知せしめるという実質上の要請をも充し得るということに意義を認め、時間的制限に拘わらず集団行動の開始前に許可申請の手続を執ることによつて違法性を阻却するという見解も存し得る。しかし、本件では証拠によつて認められるように、集団行動の開始前に許可申請の手続をとつていないこと及びその手続をするいとますらなかつたわけではなく、もともと学生側において許可を受けようという意思が存していなかつたことは明らかであるから、右の見解の当否について検討する実益は存しない。けだし、仮にこの見解を採用したところで本件は違法性を阻却するとはいえないのであつて、当否いずれにしても結論に何等相違を生じないからである。しかして当裁判所としては、違法性阻却の有無を判断するに当つては、手続上の問題よりもむしろ行為全体について実質的な法律上の評価をしたうえで決定すべきものと考える。そしてその評価の基準としては、一般に示されている所謂超法規的違法性阻却事由の要件、すなわち、行為の目的、動機が健全な社会通念にてらして正当であること、手段、方法において相当であり、法益権衡の要件を具備すること、その際の情況にてらしてその行為に出ることが緊急やむを得ないものであり、他にこれに代る方法を見出すことが不可能であるか又は著しく困難であること、等の事情が考慮されて然るべきであろう(昭和三五年一二月二七日付東京高等裁判所判決参照)。そこで被告人が指導した本件集団行動が果して右に挙げるような要件を充足するか否かを検討しなければならない。ただここで特に考慮を要するのは、違法性阻却の要件の一として、その行為がその際の情況にてらし他に代るべき手段が見出せないということを、集団行動の場合にはどのように評価するかという点である。一般に違法性阻却の有無について評価される行為は、或る特定の法益の擁護という目的に向けられた手段であるにすぎず、その故に他により法益侵害の程度の少いか、又はそのようなおそれのない行為によつて同じ目的を達し得るならば、その方法によるべきであるとされるのであるが、これに反し、集団行動の場合には、その行動自体が表現の自由として憲法によつて保障される権利なのである。勿論集団行動といえども事実上は何等かの目的を達成するための手段として行われるものではあるが、憲法においては、その達成されるべき目的の如何よりも、手段自体に高い法的価値を認め、これに強い保障を与えているのであるから、一般の場合に問題とされる行為とは、本質的に差異を認めなければならない。従つてこのような集団行動の場合には、例えばこれに代えて文書による意思表示が可能であり、かつその方法がより適切であるという如き、第三者による価値判断によつて選択されるべき性質のものではない。結局集団行動については、目的、動機、方法を全体的に判断して濫用に亘ると認められるが否か、無許可で集団行動を行つたことが真に緊急やむを得ないといえるか否かという点について評価することが相当である。

(二)  今これを本件について見るに、被告人を含めた学生約二〇〇名が本件集団示威運動を行うに至つた目的はすでに判示したとおりであり、なお警察官が松崎俊明、和田富雄の両学生を逮捕したことが適法であつたこと、従つてその逮捕という公権力の行使に対してはこれを受忍すべきであることも前に説示したとおりである。しかしながら、たとえ公権力の行使を免れることが許されないとしても、これに対し反対の意思表示をしたり、その行使の取消を要求すること自体は方法が相当である限り何等禁止されるものではないことは勿論であり、このような意思表示をすることもまた憲法第二一条によつて保障される表現の自由に属するものである。故に被告人を含む学生らが右のような目的をもつて集団示威運動を行おうとしたことをもつてこれを濫用と見ることはできない。さらに学生らが公安委員会の許可を受けることなく集団示威運動を行つたことが、真に緊急やむを得ない場合に該当するか否かについては、これもすでに説示したとおり、すくなくとも都条例第二条に規定する時間的制限に従つていては集団示威運動の意義及び効果が失われるという意味において緊急の場合であるということができる。しかしながら緊急の場合だからといつて如何なる方法を執ることも許されるというわけではなく、その方法において社会通念上相当でなければならない。そして前掲各証拠を総合すると、本件集団示威運動中、警察官の警告、制止にもかかわらず大蔵省前附近から外務省前附近に至る間において、すくなくとも四回に亘り被告人の指揮により車道一杯にその両端に達する程度の蛇行進をくり返していること、当該個所は東京都内においても車馬の交通の輻輳する場所であり、また午後三時すぎという時刻の関係もあつて、右蛇行進のため車馬がかなり阻害されるという結果を生じたこと等が認められる。およそ権利を行使することにより他の法益を侵害することが不可避である場合には、その法益侵害を最小限度に止めるよう真摯な努力を払うべきは当然であつて、憲法第一二条においてこれを濫用してはならないと要請する趣旨もまたここに存する。しかるに本件では何等この点に配慮を加えることなく、右のような蛇行進をくり返し、そのためただ徒らに車馬の交通を阻害するという結果を招いて敢てはばからないのであつて、このような集団示威運動は本来平穏であるべき集団行動の範囲を逸脱し、その方法において社会通念上相当であつたといわざを得ない。従つてこのような不相当な集団示威運動を指導した被告人の行為は違法性を阻却すべき場合に該当せず、都条例第五条によつて処罰を受けるのはやむを得ないところであり、弁護人のこの点に関する主張も採用し得ない。

よつて主文のとおり判決する。

昭和三八年二月二日

東京地方裁判所刑事第二部

裁判長裁判官 江 碕 太 郎

裁判官 播 本 格 一

裁判官 近 藤   暁

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